8月30日にアップした「桃ヶ池」。その後友人と出かけたり話したりしていて、やっぱりあの「中の島に建っている家」のことがみんな気になるというのです。
「庭から魚釣りができそう」「毎日公園の池や緑を眺められる」など、都会の中の別天地、別荘地みたいなロケーションなので、とてもうらやましいわけです。さらに公園の中にあるのが不思議。。。勝手にいろいろ想像して、お住まいの方にはスミマセン。
で、一体昔はどんなんやったんか、古い地図で見てみました。国土地理院で一番古かったのが上の大正10年測量の一万分の一地図です。
当時まだまだこの辺りはのどかな田園地帯、鉄道は阿倍野から平野までのチンチン電車だけで、左の桃山中学校は今の桃山学院、右下に法楽寺が見えます。
池の名前は「股が池」の時代です。見えますね、真ん中に右から突き出ているところに林のような記号と四角い建物風のマークが・・・そばに佇むと、田畑の中に林に囲まれた池、遠くに学校が見え、そばをチンチン電車が走っている、そんな光景が浮かんできます。
次は昭和4年測量のものです。まず今の阪和線が出来て平野線を高架でまたぎ、池のそば辺りで地上に下ってきています。区画整理も進み、道路と住宅地がはっきりしてきました。あびこ筋の原型もあります。
池の南の端っこは一部埋め立てられて、現在では昭和中学の運動場になりました。件の中ノ島には、すでに家屋らしき建物が数軒、はっきりと記載されていますね。
大阪市が桃ヶ池を公園として整備したのはこの頃ですから、すでに私有地として明確にされていたことになります。
3枚目は昭和24年の地図。ほぼ住宅も埋まり、あびこ筋も広くなって、桃山学院も記されています。島の建物は昭和4年の頃とあまり変わりなく、池を取り巻く風景も、瓦屋根とはいえ、今に近い様子が想像できます。
そんなことで、地図の歴史散歩して、約90年ほど昔からほとんど変わらない桃ヶ池の姿に感動しましたし、中ノ島に関するみんなの疑問もだいたいは解けたと勝手に思っている次第です。
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