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2011年8月31日 (水)

ぶらり千早赤阪村(1)

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大阪で村、といえばこの千早赤阪村。大阪府民が子供の頃から親しんでいる金剛山(1125m)の麓にあり、南北朝時代の楠木正成の出身地で有名。下赤阪の田圃は「日本の棚田100選」にも選ばれています。

友人のM君が自然好き、湧水好き。いいとこあるよ!って暑い暑い都会から車で脱出行にお供しました。出発から40分くらいで村の入り口に到着なんですヨ^^

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まずは腹ごしらえにおすすめのパスタ&カフェ「ウッディハート」です。

すてきなログハウス。好きですね!元・山好きにはたまりませんね、こうゆう山小屋風は最高です^^

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テラス席があって、まわりに緑が一杯、自然のシャワー、マイナスイオンを浴びながらのランチタイムになりました^^

涼しい~~~~~!快適~~~~~!気持ちいい~~~~~!

空気も水も、パスタも、なにもかも美味しい!水は何杯いただいたことか!

ウッディなクリップもうれしい!R0014361

以前は蕎麦屋さんでしたが、パスタ&カフェはログハウスにぴったり!ゆっくり緑を眺めるのもよし、昼寝もよし、読書なんかもいいかも^^(つづく)

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2011年8月29日 (月)

遊び心の陶芸カップ

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相変わらず「カップ」を作っています。いいのができたら友達にプレゼントするつもりなんですが、なかなか納得できないし、ついつい遊んでこんな絵を描いてしまうし、気に入ってくれるかなぁ~、これはやめておこうなど、次にいいのができてから、などといろいろ思うばかりで、手元に溜まるばかり^^

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何人かの年賀状に「いいのができたら送りますね」と小さく書いたんだけど、みんな覚えているのかな、年内にはなんとかしようとは思いますが・・・!

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「Bonjour」(ボンジュール)シリーズも楽しいね^^言葉を書き込むのが好きで、いろいろ書いてきたけど、これはなんかセンスアップするなぁ~。

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何も色がないよりも、「呉須」の象嵌のほうが絵がはっきりしていいかな^^「アメリちゃん」て書いてあります、うっすらちいさくね。

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上部にヒビが入ったけど、猫ちゃんが「ニャー」っていうのがかわいいので一応アップしました^^

ひとつひとつのキャラクターやイラストにはあんまり深い意味はありません。楽しい感じ、がテーマですね^^

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2011年8月26日 (金)

河内音頭を聞きに、八尾・常光寺へ!

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今年のマイ行きたいとこリストのひとつがここ、八尾市の「常光寺」。

8月23日24日の地蔵盆に行われる盆踊り大会で、「流し節 正調河内音頭」が聞ける。

というので24日の夜、近鉄電車に乗って、憧れの常光寺に行ってきました。

金魚すくいなどの出店が並ぶ商店街から少し入ると、そこは山門。立派な仁王様がしっかり守っていました。

そこそこの広さの境内の真ん中に、櫓が組まれ、盆踊りの準備ができていました。午後7時ですので、まだまだこれからですが、ぼちぼち人が集まってきています。

大阪に住んでいれば、「河内音頭」はいろんな場所、場面で自然と耳に入ってきて、馴染んでいます。1960年代の鉄砲光三郎や、特に河内屋菊水丸のは、わかりやすく親しめる内容ですね。

でも、昔からの「正調流し節」といわれるのは、実は聞いたことがなかったんです。

中沢新一さんの「大阪アースダイバー」(週刊現代に連載中)で「俊徳丸」の話が出てきて、河内音頭のお題としても歌い継がれていることを知り、きっと常光寺なら聞けるのでは、とやってきたわけです。。。

「流し節」はゆったりとした音曲で、600年前の寺再建時の「木遣り唄」をルーツにしたもの。現代のスピード感は無いですが、ああー、大阪にもこんなおおらかな唄があったのか、と感動しました^^一度は聞く値打ありますね。

大阪のソウルミュージックです。「日本の音風景100選」にも選ばれてるんですよ。Dsc06328

2時間の間に、6~7曲くらい聞いたでしょうか、最初は聞き耳をたてていて、おおー、大阪の地名がでてくるぞ、ひょっとして、と思いつつ、ところどころ聞きとれるけど、内容はよおわからんな~。

新しい歌い手にかわり、また聞き耳をたてて聞くけど、なにをゆうてるのかまたわからん。そのうちにどんどん人が増えてきて、盆踊りが佳境に入り、大勢の踊り手が、テンポ良く周ります。いつのまにか「俊徳丸」のことは忘れて、盆踊りの写真撮影に力が入ってしまうことに。Dsc06280

撮影に熱中したおかげで、ご覧の通り、なかなか楽しい盆踊り風景が撮れました。皆さんとても上手に踊られます。気合いの入った浴衣姿はなかなか良いな~^^

下の写真の外国人の女性は、オーストリアから来た方で、お父さんやガイドさん達と楽しんでらっしゃいました。浴衣も良く似合いますね。京都に泊まっている、とのことで、八尾まで来るっていうことは、かなり日本が好きな人のようです。Dsc06306

あ~、そうそう、例の「俊徳丸」は歌っていたのか・・・流し節のほうは結局よくわからないうちに終わり、後半の9時からの現代河内音頭「久の家」さんの歌い手の方に事前に聞きますと、うちは「紀伊国屋文左衛門」はありますけど、それはちょっと、、、とのことでした。

結構遅い時間になりましたので、そろそろ引き揚げて、帰ってからネットで調べてみましたら、どうやら「正調流し節」の中の外題にあったようなんですね。

あーあ、残念無念、、、でも、ずーっと聞いてましたから、目的の何割かは果たせたことにしておこうっと。また来年、行けたらいいなぁ^^

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2011年8月24日 (水)

長居植物園 1964年/2011年

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前回の長居陸上競技場のほかに、長居公園の当時がわかる写真がでてきました。公園が出来始め、植物園が作られて行く、創世記の様子です。

上の写真は現在の長居植物園「大池」、バラ園入口付近から撮影。スタジアムの白く光る屋根が見えています。手前のは島です。

下の写真、これが当時の大池の島、遠くに競技場が見えます。上とは少し撮影位置が違いますが、「猿島」と言っていた島の、岩の部分は、現在は取り除かれてありません。Img_0009

実際に猿を見た人はいたのかなぁ。岩の形が動物園の猿山に似てるので、ここにもできたら面白いやろな、という幻想の産物やったかもしれません^^

次は大池の西側から南東方向、池の全貌と、鷹合町や東長居町の住宅群を見たところです。こんな大きな池を掘ってどうするの、と子供心に不思議でしたが、今は植物園の中心になくてはならない存在です。Img_0008

同じとおぼしき場所から撮影してみました。R0014302

右の池畔あたり、当時と同じ感じのカーブでしょ^^間違いない、この景色ですね。これは嬉しい!ピッタリと同じ、47年前の歴史的証拠写真(笑)

ここには橋が作られています。池には蓮がびっしり群生し、後方の住宅群は近年建て替えられより高層になっていますが、森が高木になって、わずかに屋上が見えるくらいです。

橋を渡ったところから大池の噴水とバラ園方向をパチリ!R0014299

池の上の空はあくまで広く、これが大阪の街の中?と思える、とても気持ちの良い空間です!(つづく)

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2011年8月22日 (月)

長居陸上競技場 1964年

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「a-nation」があったことで、ちょうど思い出した、昔の長居陸上競技場の写真です。クリックすると大きくなります。

1964年、東京オリンピックの年にできた初期のもの。収容23,000人ですから現在の5万人の半分程度の規模でした。

北側からの撮影で、周りは地面のままのできたてホヤホヤ^^パノラマ風に2枚をつなげてます。

こけら落としがオリンピックのサッカー試合だったんですね。非公式の5・6位決定戦、ユーゴスラビアのオシムと日本の釜本が戦ったそうです。(「大阪トーナメント」)

この話は最近知ったことで、私にはオリンピックのあとにエキジビションで行われた1万メートル競技が印象的でした。確か銅メダリストのロン・クラーク選手(オーストラリア)がやってきて、きれいでカチッとした走りを見せてくれたなぁ^^スタンドで見てました。目に焼き付いています^^

そのあと少しの間、中距離陸上にあこがれて走っていました。子供のときの感動体験って、なにか心を動かしますね。

南側からの写真。こうゆうカーブを描くスロープの建造物は珍しかった。上から走って下りるとすごいスピードがつくので、みんなよく遊んで走りました。Img_0003

今の長居植物園の大池から競技場を見たときの写真。Img_0004_2


公園整備も緒についたばかりで、池を掘り、岩山を作って、これからどうなるんかな~、ってワクワクしてました。この池で、どこからか材木を持ってきて、イカダで遊ぶのが男の子の楽しみでした^^

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2011年8月13日 (土)

炎暑お見舞い申し上げます!

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猛暑でなくこれは炎暑、と言われて納得の暑さ!比較的7月が過ごしやすく、朝晩も涼しかったので、8月に入ってやってきた「炎」に体がついてゆけず悲鳴を上げそう!

でも昨年に比べたらマシですね。夜にもつけていたクーラーでしたが、今夏は昼間も夜もほとんどつけておりません。扇風機でなんとかイケテおりまする~^^

節電は少しは意識してますが、無理しない範囲で暑いときは暑いなりに汗をかき、熱中症には気をつけてなんとかしのいでいくのだー!

写真のはおチビちゃんにめめさんが作った「お風呂上りに着るワンピース」。サッカー生地で、涼しいの!これが一番ですね。

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2011年8月10日 (水)

住吉ポタリング(3) あべの北畠の迷谷へ

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帝塚山古墳から南海高野線に並行し住吉区を北に向かって走り、南港通りのS字カーブの信号を渡る。そのまま進むと長い下り坂になったので、戻って右に南海線の橋上を渡る。

ちょうど上り電車がやってきた。金網の隙間からパチリ。ここは切れ込んだ谷をさらに鉄道を通すのに掘りこんで、上町台地の自然を生かした立体交差になってます。

参考までに国土地理院の「デジタル標高地図」をみてみましょう。中央左のほう、南海高野線がグサっと北から南に切りこんでいるのがわかります。Osaka_all2

その北側あたり、阿倍野区北畠には深い大きな谷間が西から東に2つも食い込んでいますね。

なので、上町台地の崖が単に西だけでなく、北を向いたり南に切れ込んだり、大阪では珍しいほど複雑な様相になっています。(デジタル標高地図の全体図はコチラ

先日の橋本町は少し北側の松虫通り沿いですが、ここも入り組んだ地形で、微妙な高低があるのが地形図からわかるでしょう^^

高架橋を渡ると、急な階段に出くわしました。たばこ屋さんの前だからでしょうか、「ここでいっぷく」~愛煙家のためのやさしい心遣いがいいですね。この階段が上町崖の最も南の階段にあたるかもしれません。R0014160

北畠にはいると、「阿部野神社」が鎮座まします。北畠の地名の由来となった北畠親房・顕家公親子を祀って地元有志により明治15年に創立されたそうです。足利軍と戦った古戦場だったというのも初めて知りました。R0014161

母に話すと、よーく覚えていて、阿部野神社と阿倍野高女(今の阿倍野高校)は地元のつながりがあり、戦勝祈願(古いな~^^)に学校からよく行ったといいます。

神社の紋は、北畠家の「ささりんどう」、阿倍高も同じだったそうです。神社の西側の大きな階段で記念写真を撮ったとも話してました。なんとも不思議なえにし。。。

結局「あべの迷丘」に戻ってきてしまいました。東や南に向かう長い谷筋に右や左から沢が流れ込むように坂道が枝分かれしています。R0014167

城壁のように壁面がとても高く立派な建物に目を回しそうになりました。R0014155

赤い車が上っていく坂道には名前がつけられていて、「さくら坂」と石碑に刻んであった。この写真の場所、左からもう一本道が合流しています。めくるめく迷宮^^これは「あべの迷谷(めいこく)」ですな・・・R0014163

もうひとつは「みなミ坂」と見える。こんなふうにどの坂道にも名前があってもいいと思いますね。R0014170

もうひとつ。強烈な坂道です。自転車、漕いでは上れなかった。R0014166


最後は坂道のオンパレードになりました。デジタル地形図でもわかったし、実際にポタして実感しましたが、上町台地でも格別に複雑な形状を残しているのが、この「あべの迷丘&迷谷」ではないでしょうか。

住吉界隈のマイブログを思い出しました!住吉大社に近い生根神社の梅見頃の写真です。今回の予兆みたい・・・→ 2008年3月3日

住吉からあべのにかけて、自転車での「さ迷いポタリ旅」、このへんで終わりたいと思います。私自身はいろいろ発見のある楽しいひとときでしたが、皆さんいかがでしたか。結局は6回にわたりお付き合いいただきました。ありがとうございました^^

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2011年8月 8日 (月)

住吉ポタリング(2) 「ハット屋パン」から「帝塚山古墳」まで

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住吉大社近くでの用事を終え、熊野街道を北へ。屋根に2羽の「鳩瓦」のある作家・藤沢桓夫(たけお)旧宅を過ぎて「ハット屋パン」さんは開いてるかな~、おおー、ラッキー&ハッピー、開店してました。

日陰の床几の前に自転車を止めて、溶ける前に撮影しようとカメラの準備をしておいて、百円を手に差し出すと、おばちゃん、ちゃーんと用意してくれてて、「ハイッ」って・・・ニッコリ~^^

うれしいね、美味しいね、上にシャッポをかぶせたタイプ、最近珍しい。家族連れ3人もニコニコ顔で住吉さんのほうにそぞろ歩き。私、食べ終わりちょっと走ってから、そうそう聞いておこうと店に戻り、奥に引っ込んでたおばちゃんに「おばちゃーん」て声掛けたら、愛想良く「はいはい~」・・・

「すんませーん、ちょっと聞きますけど、ハット屋パンって?」「前はパン屋やってたけど、今はソフトクリームだけ。」「ハットは帽子?」「ハットは、お父さんがシルクハットのイメージでつけた名前よ」とおばちゃん。ありがと!謎が解けたよ~^^

熊野街道をさらに北へ。「蟻の熊野詣で」といわれた時代、この街道は人の波やったんかなー、と想いを巡らせていると、「住吉名所 十三佛」の文字。ここ宝泉寺は平安時代、「往生要集」の名僧・恵心が開祖。後年、宝泉上人が再興して、自ら近在で掘り出された巨石を十三体の石仏に刻んだとのことです。R0014142

結構ほこりをかぶってるけど、なかなか美しい石仏です。この世の安泰と後の世の極楽往生を願っております。

少し気になる道があるので、一本西側で、歴史のある街並みに沿ってを北上しました。蔵のある日本家屋が嬉しいですね。電信柱の存在感が強すぎるけど・・・R0014147

うねうね曲がりながら続くのは古い街道の証し。路面にレンガ色の四角い模様が点々と続いていて、「大阪くらしの今昔館」で住吉界隈の蔵の再生事業のVTRを見たけど、こうゆう感じのが「まちなみづくり」なんでしょうね。いい感じでポタできます^^

おおー、洋館建ての素敵な邸宅。玄関には「文化財」指定の表示がかかっています。煙突があります。そう、暖炉がある応接間、重厚な家具にかこまれて、クラシックを聴きながらブランデーを傾ける・・・かってにイメージがふくらみますね^^R0014150

ブログアップの直後、Dさんから「この洋館はヴォーリズ建築です」とのコメントをいただき、さっそく検索してみましたら、なななななんと、間違いなくヴォーリズ!

大正11年(1922年)の「旧プレスビテリアン宣教師館」。大阪府下では大丸心斎橋店や基督教会などで11ヶ所あって、2件はすでに解体され、4件は「国登録有形文化財」だそうです。

西宮の関西学院(実はマイ母校)など、自然と目に触れる機会が多かったんですが、こんな身近な住吉区にもあったんですねぇ。嬉しいなぁ~^^大発見です!浜寺にもあるって。今度見てこよう^^

そして、なんとなく見覚えのある景色になってきました。右に南海高野線帝塚山駅の踏切、その先に帝塚山学院の玄関。線路沿いあったケーキ屋さんの「菊一堂」によく来たなぁ。かなり前になくなったけど。今は「ポアール」のひとり勝ちやね^^和風なら「福寿堂秀信」^^

さて、これまで通り過ぎていた「帝塚山古墳」をちょっと見学してみました。R0014152

柵手前にもある説明板を読みますと、なかなか大きな古墳みたいで、民家に囲まれていて全貌は見えませんが、ヤフー地図の航空写真で確かめますと、その巨大さが把握できます。

ちょっとWiki検索してお勉強してみました。『現在は、帝塚山古墳は一つだけだが、明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。前方後円墳。』

明治天皇もこの上から陸軍大演習をご覧になったそうで、てっぺんにその碑が建てられています。

本日はここまで~^^(あと1回つづく)

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2011年8月 6日 (土)

住吉ポタリング(1) 「爽月」そして「無学」

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ポタリングづいてしまい、パパチャリの行動力拡大中。ちょうど住吉に用事ができ、粉浜の麺屋「爽月(そうげつ)」さんにも行きたくてポタ、ときどき「歩た」、汗もポタポタ^^

南海本線粉浜駅から西南スグのところにある「爽月」さんはすぐにわかりました。ネット上でちょっと紹介されていたので「とり玉天ぶっかけ」を注文。

もちろん手打ち自家製麺、コシのある讃岐うどん。「キムラ君」のポスターあるし、どうやら「釜たけ」さんの・・・うどんの舌ざわり、歯ごたえ、よーく似てますわー。

とり天、たまご天でボリュームも満点。お客さんもひっきりなしで、粉浜の町に根付いていますね^^そうそう、夜は「そば」を提供という面白い営業されてます。

先月で1周年、お祝い花ですが、「かんみ」さんといえば「食べログ」でしょっちゅうお目にかかるお名前です。南大阪エリアなのでよく参考にさせてもらってるフードアナリストさん^^またよろしくです。R0014130

お酒のほう、「青空はっぱなっぱ」さん、漫才師やな、と思ったけど、念のため検索したら、なんとご近所のレストランでした^^へー、これはこれは、有機農業の野菜料理など提供とあるので、また一度行ってみよ。

出て歩きだすと、なんとお隣に「金魚屋」さん見つけた。駒川商店街のお店が高齢で廃業して、めめさんがどこかにホテイアオイないかなぁ、というので、もしやと見てみますと、ありました^^花が美しいので、今年も咲かせたいとのこと。「東元観魚店」。おばちゃん、ホテイアオイが小さいからとちょっとマケてくれてありがとう^^R0014137

粉浜商店街はなかなか味わい豊かです。学生の頃、近くに友達がいて、よくウロウロしてたので懐かしくもありますね。商店街は道幅がある程度狭いほどにぎやかではやってる感じがして好きです^^

そうそう、ここに来る前にこんな碑を見つけてしまった。「六代目 笑福亭松鶴亭跡」。R0014128

昔から粉浜あたりには落語家の住まいがあって、今活躍してる人達が弟子やった若い頃の話によく出てきたように思うけど、実際にここが松鶴師匠の旧居とは知りませんでした。

あのちょっといかつい顔やけど、しゃべるとおもろいお父ちゃんて感じ。よくテレビで聞いたり見てましたがな。長屋話なんかええ味出してましたね。

弟子といえば綺羅星のごとしで、仁鶴、鶴光、鶴瓶などなど大勢います。

それで、この碑の上のほうに「〇学」という看板らしきものがあがっていたけど、うーーーーん、読めないし、なんのこっちゃわからん、と碑の写真だけ撮って商店街に向かったのでした。

これぞ「無学」というのでしょうか、調べてみますと、その読めない文字は「無」でした。それに鶴瓶ちゃんは毎月1回、ここで「無学の会」を開いていて、この8月21日で148回目だそうです。

がぁーーーーーん、これはぜひとも行きたいな、聞きたいなぁ、、、、、いやー、知らないこと一杯あるな、これだから楽しいし、ポタも止められない(笑)

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2011年8月 4日 (木)

あべの迷丘ポタリング(3) 「晴明神社」から「上町崖」へ

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「あべの迷丘」を巡る旅は、南北に走る熊野街道と上町台地西縁の崖をはずしては語れませんね。

松虫通りから南の熊野街道約500mは、今でも昔の面影を少しですが味わえます。中でも阿倍晴明神社は「陰陽道」ブームがあったからか今も人が絶えないパワースポットです。小さな境内に「気」が凝縮されていますし、「占いの館」には若い女の子の姿も・・・

ちょうど七夕の直後でしたので、鮮やかなボンボリ飾りが風に揺れていました。

さて上町台地は西側が断層帯なので、天王寺七坂に代表される坂道が大阪の地形の特徴になっています。阿倍野区にある上町崖も、「迷丘」巡りしながら実感してきました。009

あらためて巡ってみますと、その急な角度に驚きです!階段で10メートル以上はある!むこうは西成区天下茶屋。ここもにも歴史街道が通っていますね。木津川をはさんで大正区、その先には南港コスモスクエアがあるはず。大昔はなにわの海。ふと古代にタイムスリップ。007

上町断層の地震や東南海地震による津波のことを考えると、複雑な心境になります。来ないことを祈りつつ、国や自治体が被害を未然に防ぐ措置をとっておいてもらいたいとも思います。

共立通り辺りまでくると女子高や短大が固まっていて、登下校の女子とすれ違うことが多いです。ヘンなおじさん達にならないように留意し、学校西側の「あべのスカイライン」へ。細い道ですが、真っ直ぐに北上!028

阿倍野墓地裏~再開発エリアを巡りつつ、「あべのキューズモール」へ。熱中症にならないよう、フードコートでアイスクリームタイム。

M君は用事があるので別れて、私はさらに市立大学病院の西崖を確かめ、さらに北を見ると、ななななな、なんと、こんな町中に踏切がぁ~!039

JR環状線、大和路線の市内唯一の踏切で、「開かずの踏切」としても有名だそうです。鉄ちゃんの世界では既定の事実でしょう^^

昼間でしたので、案外早く渡ることができましたが、行き来する列車量は半端でない!真ん中に取り残されたら怖いくらい。044

「あべの迷丘ポタ」、最後は上町崖巡りになりましたが、このへんでおしまいにします。いかがでしたでしょう。なお、一部別の日にも独りポタしています。

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2011年8月 3日 (水)

あべの迷丘ポタリング(2) 「松虫塚」から「迷丘」へ

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さて、「なな菜」ランチを終え、松虫通りを西へ走ります。昭和町からは軽ーい上り坂。ちょっと汗をかきながら阿倍野筋をこえてチンチン電車上町線を過ぎると、今度は長ーい下り坂です。

自転車は下りは快適ですよね。通りの北側に小さくてもこんもりした森があり、広い歩道上にきちんと保存されていて、車からいつも「松虫塚やなぁ」と見ていたんです。近所に親戚もいるんですけどね・・・

友人のI君が謡曲を学んでいて、歴史的な名前の「松虫」がよく話に出てきます。知識だけでもしょうがないので今回訪ずれたってわけです。近くなのでいつでも来れる、そう思ってると案外実際には行かないもんね。

「松虫」とは今の鈴虫のこと、その美しい音色がいろんな伝説を生んできたそうで、古今集などさまざまな和歌に詠まれたりしています。010

もう少し坂を西に下ると、聖天山。その横の細い道に兼好法師の住まい跡の石碑があり、誰もが知ってる「徒然草」がこの庵で書かれたとあります。

さて「迷丘ポタ」はここからが本番。橋本町、相生通り、丸山通りなど、をくるんくるんとポタリング。

古来上町台地南部のこのあたりには早くから人が住んでいたようで、なにわの海の恵みが得られるし、丘陵地帯は木の実など森の恵みが豊かな食の源でした。022

時代が変わって谷や丘を開墾するようになり、畑を作り、農道が縦横に走り、時代とともにどんどん宅地化して、現在の姿になったと推定します。024_2

その自然発生的な成り立ちが「迷路」「迷宮」のような町、それも山あり谷ありの立体的な景観として、私が勝手に名付けた「あべの迷丘」といってもいい、面白い町になったと思います。021

計画都市は道が真っ直ぐで、向こうが見通せます。昔からの古い道は、だいたい曲がりくねっていて先が見えません。この未知感がワクワクしますね。それに上り下りの坂道が加わればどうでしょう、遊園地にいる子供に戻った気分になるでしょう^^015

こんなこと言ってたら町の人に叱られそうですね(ポリポリ)。

写真ではなかなか迷路感はお伝えできませんが、雰囲気は分かっていただけたでしょうか^^

「あのあたり巡ってきたよ」、と母に話すと、子供の頃を過ごした母、迷路のような道を昨日のように思い出し、すごい坂道でしょう、とか、いたずらっ子やったんヨ、とか、いろいろ懐かしがってました。(つづく)

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2011年8月 2日 (火)

あべの迷丘ポタリング(1) 「なな菜」と「神馬塚」

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7月のある日、阿倍野区を自転車で巡ってきました。近所友達のM君と一緒です。

どうゆう表題がいいかと思いめぐらし、結果「あべの迷丘ポタ」にしました。迷丘は「めいきゅう」で、迷宮のもじり。ポタは自転車散策という意味の「ポタリング」の略です。

暑かったけど、風を切って走ると、案外爽快!まずは腹ごしらえに昭和町の「なな菜」さんへ。

地下鉄昭和町駅から寺西長屋へ向かう角っこにあって、1階はテイクアウト、2階がレストランになっています。M君、以前からお勧めで、私は初めてです。

日替わり定食。ごらんのとおり、主菜と小鉢とごはん、味噌汁。無農薬の安全安心食材を調理して提供しています。

暑い日を過ごしている体や疲れた胃腸にやさしい食事で大変満足マンゾクでした^^008

そうそう、JR南田辺駅のそばで、珍しい史跡をちょっと見学。住吉大社の神馬が田辺村から住吉さんまで往復していた歴史があって、その頃の神馬を祀った塚なんですね。005

数名の女性が清掃などされていたのでお聞きしますと、ちょうどお隣の「うどんや風一夜薬本舗」の皆さんで、いつもこのようにきれいに管理してるそうで、とても感心したものです。

ここの「しょうが湯」「しょうが飴」は全国的に有名な商品で、地元の誇りでもあります。

なお「神馬(しんめ)塚」の所在地は東住吉区なので念のため。(つづく)

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