« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月28日 (金)

住吉さんの招き猫

003 住吉大社の招き猫です。羽織、袴に水玉模様の裃という正装の招き猫。

右手を挙げているのが商売繁盛、左手は家内安全といわれています。シンプルに右手はお金、左手は人、が寄ってくる、とも言います。本来は「初辰猫」で、毎月の最初の辰の日を「初辰」といい、商売「発達」にかけたお参りですね。住吉大社のHPには、「楠珺社で親しまれているのは、羽織りを着た愛嬌のある土人形の招き猫です。偶数月には右手を、奇数月は左手を挙げたものを毎月集め48体そろうと、満願成就の証として納めていただきます。そして新たに大きな招福猫と交換してもらい、今後のご繁栄を祈願します。」 私の場合は初詣の時にありがたく頂戴しました。しかし、先日の白猫とそっくりなのを思い出してアップしました。なーるほど、そうゆうつながりか~^^かわいい招き猫です^^

| | コメント (2)

2011年1月27日 (木)

住吉大社探検記

007 大層なタイトルですみません。自分でそう思っただけのことなんです。せやけど・・・これは巨大な楠のご神木です。極めてエネルギーに満ち満ちた巨木です。境内にはこれくらいのは何本もありますが、それだけ古い歴史がある証拠でもあるでしょうね。昨年鎮座1800年ということでした。先日の「ナカノシマ大学」の高島幸次さんによれば、そんな昔から?って言い方でしたが、地元民としては、原初「スミヨシのカミ」は、原日本人とともに、たぶんもっと前から、ここにおわしました、と思っておきたいですね^^天満宮でもそうでしたが、最近大きな神社の境内は、くまなく探検することにしています。ひょっとして、何か原初的なサインが、どこか片隅に残されているかもしれないから。。。

とことこ歩いていると、こうゆう祠がありました。池のそばに、、、ふと見ると。水の神様ですね、それも女神!021

うーむ、これが実は、原初スミヨシのカミの在り処では・・・少し足を進めると、そこには、巨石で囲まれた、なんともいえない空気の、体を吸い込まれるような、気に満ちた場が。。。 かろうじて踏みとどまりました。写真も撮りましたが、、、よろしければ皆さん、自分の体で探して、感じてください。

そして、神の白猫と出会う。じーっとこちらを見ている。とても美しい白。エサはやらないで下さい。020

簡単ですが、探検記は以上です^^

| | コメント (2)

ルーシーリー展、天満宮の池

003 先日ルーシーリーの陶芸作品展(中之島の東洋陶磁美術館)に行ってきました。盛況でしたね。結構見るのに並んだりしましたが、実物はやっぱりええわ~。現代的なセンス、デザインです。ひとつこれは特にエエなぁっていうのがありました。普段使いのカップです。作るときのために覚えとこ。手にとって重さ厚みを体感したいというのが本当のところではありますが、それは想像で補っとこぉ。あと、ぶらぶらと天満のほうへお散歩。

大阪天満宮。最近は神社に来ても、隅から隅までくまなく歩くことにしています。神域とされる場所の片隅に、ひょっこり顔を出す原初的なものを探して・・・ジャーーーン、ありました。知ってる人は知っている池です。「星合の池」といいます。昔は「明星の池」もあったと記録にあります。012

あれこれいわれなどはそれなりにあるのですが、それよりも、この街のど真ん中に池が残されていたことの驚きと、池から立ち上るなんともいえない原初的な気配というもの、そのちょっと妖しげなたたずまいに打たれてしまう。先日の天王寺茶臼山の川底池と、何か地下の奥深くで通底する大阪の原初の息吹がここにはありました。

池の端にまだつぼみの樹木が多いですが、早咲きの梅に出会えたのでパチリ。009

| | コメント (2)

2011年1月24日 (月)

四天王寺五重塔に登る

031_2 四天王寺だけではないでしょうか、五重塔の上層に登れるというのは。螺旋階段をぐるぐると・・・元気でないと来れないな~。ちょうど弘法さんの日で、21日だけは中央伽藍が無料と聞き、ラッキーでした。一気に登るのは無理、ちょういと途中で息継ぎして、五層目に到着。上るというより、やっぱり登るやね。土台が高いし一層が高さがあるので、五層でも今の建物で7階の高さだそうです。先日やってきた正面玄関の「南大門」そして「庚申街道」方面。阿倍野の高層マンションが屹立しとるなあ。019

これはほとんどみんなが利用する「西門(さいもん)」方面。下に弘法市のお店がびっしり並んでおりまーす。017

「四天王寺の西門周辺は、平安時代後期以降、浄土教の浸透とともに、西方浄土への入り口を体現した聖地として、特別な信仰を集めた地域である。上町台地から大阪湾に沈んでいく夕陽から、西方浄土を憶念して極楽往生を願うという、日想観の修地として栄え、熊野街道に隣接するという地理も作用して、様々な階層の人々が数多く参詣に訪れた。白河院、鳥羽院、後白河院が足繁く参詣し、念仏行者に結縁したことが『台記』『玉葉』などの記録類に見えることはよく知られている。」そうです。

021 東に生駒山系。河内方面ですね。ずーーーっと向こうまで、(眼をつぶって)山の裾まで、平坦な大地があり、そこに大和川が細い川の群れとなって流れ込む、数千年前のイメージングを数秒。そして下界に降りて、、、立ち並ぶ骨董屋さんのワンショット。老男女がほとんどの中、レトロなたたずまいの生活やお店作りのぴったりのモノも沢山見つかるからか、若い女子もウロウロしてます。

| | コメント (6)

2011年1月19日 (水)

四天王寺さんへ③五重塔

026 坂道の向こうに南大門が、まっすぐ縦に並んで五重塔。境内は、この日は静かなものでした。毎月21日の弘法さんなら、もうにぎやかですもん。境内中にいろんな骨董品や古着などのリサイクルショップが並び、掘り出し物を探して、買うもよし、見るだけもよし、楽しいですね^^四天王寺の存在を改めて再認識するきっかけとなった「大阪アースダイバー」では、河内音頭の「俊徳丸」が四天王寺に関わる話が途中で、まだ続きがあるはず。。。高安山から四天王寺までの道を「俊徳道」といい、途中で近鉄の駅名にもなってます。「清水の井戸」も涸れかかったのを蘇らせ、「庚申街道」も、JR線路の陸橋や近鉄駅の地下道の形で生き残ってた。地元の人が歴史をこうやって受け継いでいるんやね!さて、高さ39.2mの五重塔は、河内平野から見れば上町山脈に立つスカイツリー、どこからも見える、さぞ天空にかけ上るかけ橋やったことでしょう。聖徳太子という「和」の思想を象徴する仏塔。今度は中心伽藍に入って塔の最上層まで上ってみよう!025 (これが南大門。向こうに五重塔です)ということで、夕陽ヶ丘駅に向かい、小さな旅はおしまいです^^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四天王寺さんへ②庚申堂

018 「清水の井戸」からゆるやかな坂道を上る。すると左側に長い壁とお堂らしき建物が現れてきた。あれまぁ、これはこれは、、、「庚申堂」さんではないですか^^子供の時から耳に馴染んだあの「庚申(こうしん)街道」の出発点ではないですか~、ここやったんですか、小さいときにも来た記憶無し、多分初めてのお参りですわ~。

016 「庚申街道」は、あびこ筋の一本西側の南北の通りで両側通行、あべのから西田辺、長居のほうまで繋がっていて、古くからの「名前のある」通りでした。四天王寺のほうに「庚申さん」があって、そこへの参道やと聞かされていましたね。せやけど、近鉄とJRの大きなターミナルができたもんで、庚申街道も途中で駅中に吸収されてたわけでんな。ひょっとしたらJR駅の上の古い陸橋がそうゆうことかもしれへんなぁ・・・なかなか分からんわいな~。庚申堂由来記によれば、『今から1300年ほど前、文武天皇の御代(697~707・飛鳥時代)、わが国にはいろいろ疫病が流行り諸人が多いに悩み苦しみ、良医の薬や高僧の祈りを求めるなどさまざまなことをおこなったが何の効験もなかった。この頃、津の国四天王寺に僧都・豪範という貴い御僧があって、慈悲の心深く、広く人間の悩みを助けようと天に祈りつづけていた。そしたら天宝元年(701)庚申年の正月7日庚申の日に、年の頃16才くらいとおもわれる一人の童子が現れ、「帝釈天が、汝の人の悩みを憐れむ至誠を感じて、除災無病の方便を与えよ、との命により天から降ってきた」と告げた。豪範が、その時感得した青面金剛童子を祀ると、さしもの疫病も退散した』(大意)とあり、これが当庚申堂のはじまりであり庚申信仰のはじまりだという。お参りさせてもらい、境内を見回すとなぜか「見ざる言わざる聞かざる」の三猿の石像が一杯ありました。三猿といえば「日光東照宮」の左甚五郎の木彫だけかと思っていたら、庚申さんでお会いするとはびっくり! どうやら「あしきこと見ざる聞かざるは我が身安全、親に孝心(庚申)」という処世訓からきてるみたいですが、えらいモジリ方、なかなか面白いやおまへんか。さらに坂道を上ると、いよいよ四天王寺南大門です。追伸;あとで調べてみますと、近鉄あべの橋駅の地下通路が「庚申街道」であること、JR駅上の古い陸橋もやっぱり同じ、さらに本来の街道筋は阿倍野区役所あたりから田辺~針中野へと斜めに向かう道やったということが分かってきました。あびこ筋の西の道は地元の通称みたいですね。ま、事前の知識はなかったので、かえって面白かった^^

| | コメント (0)

2011年1月18日 (火)

四天王寺さんへ①清水の井戸

007 四天王寺へは多くの人が鳥居のある西門からお参りしますが、今日はあえて正門である南大門へ。JR天王寺駅北口を東に辿り、市バスターミナルを北に曲がるルートで歩いてみました。昔からの街道筋には何かしら小さな遺跡が残されているもので、表通りから少し離れているのがかえって風情が濃厚、今日はそんな発見の旅でした。バス停を曲がるといきなり大好きな坂道が、、上町台地の付け根の東側の坂道、ゆるい下りですが、いいですねえ。なんのへんてつもない写真ですが、水平な石垣に対して斜めの角度で下る道路が「坂道」を示しています。最近はこんな東側の坂道を見つけては喜んでおります(ヘへ^^)

この坂をゆっくり味わって底部にたどりつくと、オオーっ、そこにはお社が、、「清水の井戸」です。011

天明9年(1789年)の「摂州大阪地図」に載っていて、「摂津名所図会」にも「四天王寺の名水その一なり」と記されているという。それに、以前は清水という町名でもあったそうです。012

今もコンコンと湧き出るきれいな水。010

この場所は谷の一番の底部で、ここから南大門に向かっては今度は上り坂である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月14日 (金)

蕎麦切り「大城」@鶴ヶ丘

007 今日は蕎麦。かけそばと海老の天むす。

冬の陽射し温かい庭の木々に刺したみかんをひよどりがついばむ。003

写真の下のほうに姿が映っていますが見えにくいかも。。。めじろもやってくるそうです。このガラス越しに見える景色も味のうち。この界隈でこの景色は珍しい。お客さんで一杯でした。ちょっとお願いして撮らせてもらいました。しなやかなおもてなしで人気の美人おかみです。011

蕎麦切り「大城」 阿倍野区西田辺町2-6-13 06-6691-0046 火曜日・月末月曜日定休

| | コメント (6)

2011年1月10日 (月)

金沢へ行ってきた③

110109_105719 21世紀美術館におチビちゃんの美術作品が展示されているのでみんなで行く。

例の「スイミングプール」で、子供は体感的直感的に遊ぶ、大人にも楽しい空間。この日地上は雨。雨に打たれる水面を見上げるのも面白い。「今日は雨 スタバから21世紀まで傘がいる」市民ホールでは「みんな未来の芸術家」というタイトルで、絵や立体やゲーム的なものやら、ファッションまで、子供の作品を部屋一杯に展示してます。金沢のこういう土壌から芽生え育つんでしょうね^^058

「ホンマタカシ ニュードキュメンタリー」、男性が冷蔵庫を開け、女の子は「それで?」っていうショット(やったと思う)、子供は内省的なのに画面に明るい開放感がある、あんまり理屈はわからぬけど、面白いのでありました。「桑山忠明展」の立体スペース表現は、子供がはいつくばって見たりして楽しむ!こうしていろいろ楽しんで、金沢行きはおしまい。

| | コメント (0)

金沢に行ってきた②

012 ミニつららを見つけておチビちゃん喜ぶ。ちょうど水滴が溶けて落ちる瞬間。偶然ですけど。

「つららから水一滴の朝」

北國新聞社の合唱団に入ってるので、連れていって、あと地元の公民館の新年会へ。弁当ランチをいただいき、大人も一緒にビンゴゲーム。参加者全員に当たるから、子供も大人も大喜びで、それも世代別男女別の景品を用意してくれていいて、はしゃぎまわってました。ぼくはビールとおつまみ、なんという心配り、すばらしき町内会です。おっ、もうリーチの子がいる^^021

それに子供の世界が縦割りで、上級生が下級生、幼稚園児と遊んでくれます、大阪でもこういう関係ってあるんやろけど、金沢は濃いなあ!

次のイベントは「旗源平」という江戸時代から続く伝統の団体戦。サイコロの出目で旗のやり取りをして、勝敗を決めるゲームです。小さな旗、中くらいの旗、最後に大将旗を取るまでやります。ちゃんと伝承してるのがエライな。036

| | コメント (0)

2011年1月 9日 (日)

金沢に行ってきた①

009 雪の金沢へ。

朝の尾山神社の神門。ステンドグラスと避雷針(日本初)が珍しいでしょ。凍てつく空気の中、陽光がステンドグラスを発色し、温かく招いている。何度も拝見している門ですが、雪の白とのコントラストが美しい!

融雪装置。水がちょぼちょぼ出ているのは見たことがあるけど、これだけ噴水みたいなのは初めてかも。005

| | コメント (0)

2011年1月 5日 (水)

アイススケートしたよ@リンスポ

おチビちゃんがアイススケートしたいというので、めめさんと高石市のリンスポへ。昨今のフィギアスケート人気で、はやってるて聞いていたけど、そのとおり家族連れや友達同士で来てるし、スケート教室の生徒が真ん中でビュンビュン回って、活気に溢れとります。

昔、アイススケートといえば、ぼくらはナンバスケートリンクでした。大阪球場の下にありましたね。友達とよく行ったなぁ~。滑りはテキトーやったけど、一応リンクを何周もして楽しんでました。

016 今日もぼくは、おチビちゃんと一緒に最初のうち「手すりみがき」してましたが、だんだんコツを思い出し、Sちゃんもわかってきたみたいで、二人とも真ん中で滑るようになって、けっこう楽しみました。もちろんあとでヒザにきましたけど(笑)

せやけど、浅田真央ちゃん、村上佳菜子ちゃん、高橋大輔クンのあとのあとのあとの世代まで、なんか大丈夫みたい・・・人気があると層が厚くなるってホントですね。

| | コメント (0)

2011年1月 3日 (月)

お正月

2681

お正月の三日にみんなで集まりました。帝国ホテルの「なだ万」さんにて。昨年11月に結婚した姪っ子も旦那さんと来てくれました。あれー、お母さんにくっついて顔が見えない子が一人いますね^^86歳の母も元気でなによりです。また来年も集まれるといいね^^

| | コメント (0)

2011年1月 1日 (土)

謹賀新年

002_2 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。今年もおせちは「和光庵」の一人おせちを二個、ふたりでそれぞれいただく。 お雑煮は関西の白みそ仕立で丸餅、大根、にんじんと豆腐。012

うさぎのおちょこで新春を祝う。かなり昔に京都の四条木屋町上ル、で買ったお気に入りのちょこです。

お椀、ぼくのは赤です、女性は黒塗り、なんでやろ~?だいぶ年季が入ってますが、家紋は梅鉢で、天満宮ですね。018

ここでちょっと脱線しますが、祖先はたぶん天満界隈にいたんではないかと・・・本渡章さんの「大阪古地図むかし案内」によれば、塩干魚商の我が昔仲間は、天満鳴尾町(1573年~、これ以前は?)→船場天満町(靭町、高麗橋から堺筋の間、今の中央区伏見町、へ移転、1592年~)→永代浜・靭(今の靭公園の北側、京町堀通、へ移転、1622年~)1945年大阪大空襲で川西市雲雀丘に疎開(私1948年ここで生まれる)、その後東住吉区に転居して現在に至る、です。

この機会にちょいと可能な限りの歴史をひもといてみました。なので、天満界隈には思い入れあるんですね^^

| | コメント (0)

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »