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2010年7月27日 (火)

再びクライネシャイディック

149 ユングフラウ登山鉄道で下っていくと、次第に高山病の気配もスーッとひいて、みんなホッとしました。

駅舎のレストラン「バーンホフ」で郷土料理のランチ。麦のスープ、ステーキとエビのグリル、サラダ、リンゴのケーキ。あまりに美味しくてか空腹やったからか、全部ぺロり^^

少し時間があったので付近をちょっぴりハイキング。

4月に見た映画「アイガー北壁」の舞台になったレストランを訪ねたり、お隣に設置してある望遠鏡で北壁を眺めたり、花咲く草原の中をハイクしたり、満足のひととき・・・

老夫婦が見ている写真ボード、何かなと思って近づくと、標高差1800mの北壁の歴代登攀ルートでした。赤色のクネクネしたのが1938年の初登攀ルート。そして青の点線は「Japaner Direttissima」、1969年の加藤滝男、今井道子、加藤保男らによる最短直登ルートとして名前が残っている。嬉しいね^^055

僕がアイガー北壁のことを知ったのは、日本の先駆的ロッククライマー・芳野満彦さんの「山靴の音」を中学3年のときに読んでから。

翌年、高校1年の夏、友人のI君、M君と上高地、徳沢から横尾に至り、蝶ヶ岳に登る。槍から穂高の眺望が素晴らしかった!翌日涸沢から奥穂高岳を目指すが、荒天のため引き返す。

行き帰りの途中、徳沢あたりから、芳野さんが冬期初登攀した「前穂高岳第Ⅳ峰奥又白側岩壁」を間近にみることができた感動は忘れられません。

芳野さんはマッターホルン北壁の日本人初登攀を果たすのですが、アイガー北壁には1963年に挑むも・・・新田次郎の小説「栄光の岩壁」の主人公のモデルだった、というのは今回の旅で添乗員のOさんからそのヒントをもらい、知りました。さっそく読むことにしています!

僕は20年後にようやく奥穂高岳に登りました、当時と同じザイテングラートを通って、宿題をやり終えた感じでした。それも30歳年上の父親と一緒に!

僕は普通の登山靴でしたが、父親は昔とった杵づかでか運動靴で大丈夫といい、よくぞあの岩稜の頂上に立てましたわ^^

その前年には槍ヶ岳にも一緒に登りました。運動靴なので、頂上で「それで登ってきたんですか?」とみんなからビックリされて、、、よき想い出です。

そんなこんなマイ・ヒストリーですが、ン十年の時を経まして、今回ようやくアイガー北壁に会うことができたのであります^^思い入ればかりでスミマセン。。。

左向こうにに忘れてはいけないヴェッターホルン。印象的な姿の山です。154

帰りの列車ののどかな車窓風景。ハイカーが休憩中。みんなで手を振りあいました^^エエわー^^159

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コメント

山の上は寒く、下は、暖かいというような状況でしょうか?

私は、5年前の7月に、ヨセミテへ行ったのですが、
下は、半袖でも暑く、
山の上は、雪が残っていて、フリースを着ても寒かったです…

素敵なところですね~

投稿: canae | 2010年7月29日 (木) 13時12分

>canaeさん
ヨセミテですか~、いいですねー、雄大な渓谷ですよね。ジャイアントセコイアでも有名な素晴らしい世界遺産、良いとこに行きはりましたね^^

スイスの気温は、今年は特に熱波で、下は暑かったですよ。でも上は零度近いので寒くって大変でした・・・

投稿: おだまき | 2010年7月29日 (木) 20時11分

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